フリーランスになるまでの道のり(全5回連載)第1回:普通高校から東大大学院へ──夢の自動車業界を目指して
2025.05.12
会社の公式な見解ではなく、代表の清水が個人として書いた記事です。

自動車への憧れが、進路を決めた
私は、千葉県の比較的偏差値の高い県立高校を卒業しました。
高校時代は、勉強もさほど熱心に取り組んでいたわけではありません。
それでも、子どものころから車が好きで、「いつか自動車会社でエンジニアとして働いてみたい」という夢だけはずっと心の中にありました。
その当時1990年代~2000年代は自動車産業は花形でした。
日本が世界に誇る一大産業であり、ものづくり大国日本とまだ呼ばれていた自体のトップランナーです。
安定した終身雇用がまだ存在しており、社会的ステータスも高校生の目からは高い職業に見えました。
さて、大学受験では初めてまともに将来の生活をイメージしてみました。
なにかをやりたい。という気持ちよりもつらい思いをするような将来にしたくない。という気持ちのほうが強かったです。
その当時、賭博黙示録カイジという漫画を読んで、
「ちゃんとしないとカイジの世界のように命をかけて借金を返さなくては行けない」
と不安になったのを覚えています。
最終的に日本大学理工学部機械工学科に進学しました。理由は、自動車業界への就職実績があり、自分の学力でも入学できたことです。早稲田や東大といった難関校も夢見ましたが、現実とのバランスを取りながらの選択でした。
成績上位を目指して突き進む日々
大学生活は、将来の就職に備えてとにかく勉強に集中しました。成績上位を取れば、推薦で大手自動車メーカーに入れる可能性があると聞いたからです。結果として、私は学科内で上位5%に入り、機械工学科賞もいただくことができました。
しかし、順調に見える進路の裏で、就職活動を進める中で徐々に“違和感”が生まれてきます。説明会や面接を通して社会で活躍している先輩たちの話を聞くと、自分の学歴や経験に対するコンプレックスや疑問が湧いてきました。「このまま就職していいのか?」「本当にこの道でいいのか?」そんな思いが膨らんでいったのです。
就職か大学院か──キャリアの分岐点
そうした迷いの中で浮かんできた選択肢が、大学院進学でした。最初は機械工学の延長で考えていたものの、次第に地球環境や持続可能性といったキーワードに関心が移っていきます。ちょうどその頃、化石燃料や温暖化問題がメディアでも取り上げられるようになっており、単なる機械設計ではない、より未来志向の技術分野に自分の可能性を見出したくなったのです。
大学院入試の難易度は学部入学の難易度とは異なり、自分でも努力次第で手が届くかもしれないという期待感もありました。学部成績、数学、英語、プレゼンが主な選考でした。
幸い英語は理系学生の中では比較的できたほうでした。(TOEIC700点程度でしたが。)
その結果、私は東京大学大学院の環境系研究科への進学を決意します。学費や生活費などの現実的な問題もありましたが、それでも「自分を試してみたい」という思いが強く勝りました。修士課程では、持続可能な水産業──具体的にはブリの養殖の研究に取り組み、人と自然の調和について学びを深めました。
東大での学びと、新しい視野の広がり
東京大学の大学院では、本当に多くの刺激を受けました。研究内容はもちろんのこと、周囲の学生や教授、研究環境など、すべてがレベルの高いものでした。学部時代とは異なり、「与えられた課題をこなす」のではなく、「自分で問いを立てて掘り下げていく」という姿勢が求められました。
一方で、どこか“目の前のことを楽しむ”ような感覚もありました。無我夢中で走っていた学部時代とは違い、大学院では一つひとつの学びや出会いをじっくり味わうことができたように思います。
やがて、修士課程の終盤には再び“就職”という選択肢が目の前に現れます。環境系の研究を続けるか、別の道に進むか──私は新たな視点と価値観を携えて、自分のキャリアを見つめ直すことになります。
次回は、第2回「いすゞ自動車での成長と、アメリカ駐在で見えた未来の働き方」。 夢だった自動車業界でのキャリアが始まり、そして海外での経験から“フリーランス”という新しい働き方に出会うまでを綴ります。
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